『マグロの一生』

ぼくの部屋は日当たりが悪く、昼夜を問わず蛍光灯に頼らねば生活することすらままならない。

蛍光灯の明かりは常に一定の光を放ち、そのなかで一日中ひきこもって惰眠を貪っていると、徐々に時間感覚が麻痺し、いま現在何時頃であるのかわからなくなってくる。

寝ても覚めても変わり映えしない部屋。

だから、なのかもしれないが、ぼくは常に眠い。
眠った気分になれない。

宵闇の静けさに包まれながら眠り、朝の白い光に照らされながら起床すれば、睡眠に充実感を見いだせるのだろうが、こうも一定で不変で機械的な光を照射され続けると、ぼくだけ時間から取り残されるような安っぽい空虚感を覚えてしまう。

なぜ安っぽいのかというと、ぼくが自意識過剰にも時間から疎外されていると勝手に思い込んでいるだけで、事実は全く違うから。

なにをそんな当たり前のこと語っているのか、と思うかもしれないけれど、ぼくもそう思うんだから勘弁してほしい。

まったく安っぽいよね、ぼくは。
経験値なんかからきしないんだ。
それなのに知ったような顔で物事を決めつけて、マジでだせえ。

今回だって、勝手に仲間外れにされていると思って拗ねているだけなんだから、しょうもないないったらありゃしない。

拗ねてないで外に出かけろ。早く着替えて出発しろ。書を捨てよう町へ出よう!

って思うんだけど、ああ、こんなぼくだってそれが不変の部屋から抜け出す一番スマートでシンプルな方法だって知っているさ。
でも、どうしても外に出ようと思うと立ち竦んでしまう。億劫がってしまう。
だって、外に出たって行くあてがねえし、金がかかるばかりだし、そもそも元気がない。
陽の光を浴びるとクラクラするよ。

もう、蛍光灯の明かりに慣れすぎてしまったんだ。

って、ノコノコと布団に戻り、壁にもたれかかって体育座りしていると、やっぱり気が滅入ってきて、すごくひとりぼっちに思えて、なんだか泣けてきたよ。悲しいことだよなあ。

って、へえ、さっそくお得意の自己憐憫ですか。あわれ、あわれ。きもちわる〜。ねえ、お母さん、あの人見てみて〜。変なの〜。シッ、見ちゃいけません!

と、自分を戒めるとかえって泣けてきて、仕方のねえ奴だなあ、と無理に笑ってみたりして、本当に楽しい休日なことだよね。

本当に楽しい奴だよね、ぼくって。

ともあれ、今日も今日とて、あってもなくてもいい一日でした。
無駄にしたな、粗末に扱ったな、という罪悪感が胸を締めつけますが、これこそが間違った思い込みだと思います。

だって、少なくとも僕に限っては、生きたくて生きてるわけじゃねえもの。
生まれたから仕方なく生きているだけだもの。

だから、無駄にしたところで罪悪感なんか感じちゃいけないんだ。

ぼくの精神の甘っちょろさは、そんなの元々求めてないって知っているはずなのに、すぐに人生や生活だとかに意味や意義を見出そうとしてしまう。

目的があって生きているんだ! と目をランランに輝かせて胸を張っている奴らに、はっきりとノーを突きつけていこう。
他人は好きにしたらいいが、お前らの言うことは、ぼくにとってノーなんだ。

ぼくはもっと毅然とした態度で立ち向かうべきだ。

生かされるままに生きていることを知ってか知らずか、満面の笑みでいられる連中に吐き気がする。

そう! その意気だ! もっと熱っぽく語ってやれ!

ぼくに関わるすべての事象が、ぼくに対して強迫的高圧的暴力的に振舞ってくる。
「勉強しろ、働け、金を稼げ、飯を食え、クソをしろ、睡眠をとれ……」
従わなければ、ほとんど独裁的なかたちで相応のペナルティーが与えられる。

ぼくはそんな仕組みが恐ろしくって気が狂いそうなのに、本当にお前らはこれでいいの? 渋々従っているだけだよね?
じゃなければ、お前らのことも馬鹿だと思わなきゃいけなくなる。

馬鹿はお前だ、って? うるせえ! ぼくを馬鹿にするな!

とにかく、ぼくだけはぼくに何も要求しない。外に出なくたっていいさ。何もしなければいいさ。精神をできるだけ曖昧にしろ。無機質な光を浴びて身も心も無機質になれるといいね。

と、こんな感じで今回は終わりです。またまたまた長ったらしくなっちゃいました。文章が長ったらしいのは馬鹿の証拠らしいですよ。馬鹿はぼくです。わかっています。

じゃあ、さよなら〜
















ぼくは目を瞑って、泳ぎ続けなければ呼吸ができない生き物の一生を思い浮かべます。
続けて、ぼくの一生も。