『明けない夜があってもいい』

2ヶ月ぶりのブログになりました。気づけば新年。
みなさん、あけましておめでとうございます、なんて、何がめでたいのかよく知りませんが、めでたいのはお前の頭だけだろって思いもしますが、これを口にするのが日本人の作法らしいので、一応言っておきます。


では、改めまして、あけましておめでとうございます。


うわあ、なんにもめでたくねえや。言えば言うほど落ち込むわ。正月休みが終わって仕事が始まって、仕事から帰れば家事に忙殺される退屈なわりに疲れる日々が始まっているのに、なんにも嬉しくねえや。
ずっと年末にいて、ベッドに沈んで頭をぼんやりさせていたかったなあ。
一日が過ぎさって新たな一日が来ること、僕にはそれがとても恐ろしく聞こえるよ。


明けない夜はない、だとか、やまない雨はない、という言葉が、人を前向きにさせるのは、その先に希望があることを人々が暗黙のうちに了解しているからで、年が明けるとめでたく感じるのも、来たる一年はこれまでよりも良い年になると無自覚に決めつけているからこそなんだよ。
実際には、肉体は時が経るにつれ朽ち枯れていき、精神もそれに伴い破滅していくものだから、希望なんかあるわけがなく、おめでたいと言うよりおぞましいと言う方が新年を迎えるにあたって適切だと思う。
あけましておぞましいです。うん、こっちの方がしっくりくるな。


にしても、どうしてこうも絶対的に運命的に必定のものとして、夜は明け、雨はやみ、年は越してしまうのだろうか。
世界は精密すぎる。
世界とは違って不完全で不具合だらけの僕は、明けない夜を、やまない雨を、終わりのない終わりを、夢見てしまうよ。
明けない夜があってもいいじゃないかと思うのだけど、君はどうだろうか。