『明けない夜があってもいい』

2ヶ月ぶりのブログになりました。気づけば新年。
みなさん、あけましておめでとうございます、なんて、何がめでたいのかよく知りませんが、めでたいのはお前の頭だけだろって思いもしますが、これを口にするのが日本人の作法らしいので、一応言っておきます。


では、改めまして、あけましておめでとうございます。


うわあ、なんにもめでたくねえや。言えば言うほど落ち込むわ。正月休みが終わって仕事が始まって、仕事から帰れば家事に忙殺される退屈なわりに疲れる日々が始まっているのに、なんにも嬉しくねえや。
ずっと年末にいて、ベッドに沈んで頭をぼんやりさせていたかったなあ。
一日が過ぎさって新たな一日が来ること、僕にはそれがとても恐ろしく聞こえるよ。


明けない夜はない、だとか、やまない雨はない、という言葉が、人を前向きにさせるのは、その先に希望があることを人々が暗黙のうちに了解しているからで、年が明けるとめでたく感じるのも、来たる一年はこれまでよりも良い年になると無自覚に決めつけているからこそなんだよ。
実際には、肉体は時が経るにつれ朽ち枯れていき、精神もそれに伴い破滅していくものだから、希望なんかあるわけがなく、おめでたいと言うよりおぞましいと言う方が新年を迎えるにあたって適切だと思う。
あけましておぞましいです。うん、こっちの方がしっくりくるな。


にしても、どうしてこうも絶対的に運命的に必定のものとして、夜は明け、雨はやみ、年は越してしまうのだろうか。
世界は精密すぎる。
世界とは違って不完全で不具合だらけの僕は、明けない夜を、やまない雨を、終わりのない終わりを、夢見てしまうよ。
明けない夜があってもいいじゃないかと思うのだけど、君はどうだろうか。

『肉人形』

 仕事が終わり、家に帰ると、不愉快な匂いが鼻についた。
 冷蔵庫を開けると、鶏肉が腐っている。料理なんかできるわけないのに、半額だからと気安く買ってしまった鶏肉が、腐って悪臭を放っている。
 処理手段を考えることも面倒に思え、とにかく見なかったことにして冷蔵庫の扉を閉めた。

 部屋はゴミで散らかっている。コンビニで買ったゴミがあちらこちらで山をなしている。
 ひとまず、テーブルを占拠するゴミを床にどかして、新たにコンビニで買ったゴミを置いた。
 ゴミは生姜焼き弁当の形を成している。
 箸を取り、封を開けて、そういえば冷蔵庫に缶ビールが残っていることを思い出した。疲れた身体を奮い立たせ、席を立ち、もう一度冷蔵庫の扉を開ける。すると、再び強烈な悪臭が戻って嫌でも気分が悪くなる。

 どうして、鶏肉は、有機的なものは、そこにあるだけで腐っていくのでしょう。形を留めることを許されないのでしょう。酷い話じゃないか、ずっとこのままでいられたらいいのに、って感情は、どうやら受け入れて貰えないらしいです。
 停滞は即ち腐敗で、死で、常に新鮮でいたくば革新を続けるほかない。欲しいものなんか一つもなくとも、新たなものを取り込み続けねばならない。そうなのだとしたら、生きることは大変なストレスです。
 成長、進化、と言えば聞こえはいいですが、それにはいつだって自己破壊が伴います。誰だって自分が傷つくのは嫌で、できればラクしたいと思っているのに、もがき苦しまなければ存在を保てないのだとしたら、世界とは残酷なものです。

 なんかもう嫌になっちゃった。そうだ、酒を飲もう、アルコールで酩酊して問題を先送りしよう、そうしよう、酒酒酒、って感じで缶ビールをごくごく飲み、弁当を喰い、すっかり出来上がってしまったぼくは、仕事の疲れも相まって、すべてがどうでもよくなってしまった。
 これではいけないと思いつつ布団に倒れ込むと、眠気らしいものがやってきた。
 風呂にも入らず、ゴミも片さず、このままでいいわけがないけれど、現状を変えなきゃいけないのはわかっているけれど、身体は痺れて動かない。心も、もうお前はそれでいい、と言っている。

 ぼくは多分、生きることに向いていないのだろうなあ。

「ぼくは肉の塊です。腐敗する肉人形です」
 少しは気が晴れるかと自虐してみたけれど、特段気持ちは変わらなかった。

『ホラーショー』

仕事で疲れてしまってもう何も手につかぬ。酒を飲むことしかできぬ。今夜も酒を飲んで泥のように眠りこけるだけ。本当はしたいことがあったはずなのに。たとえば読書とか日記とか。え、それがお前のしたいことなの? 本当に? と自問すると、力強くは断言できぬ己の惰弱さに心底呆れ返るよ。ぼくはお前を呪います。お前なんか死ねばいい、ので、ぼくはさらに酒を呷ります。お前なんかどろどろに溶けてしまえばいいんだ、って、泥々となるのはぼくの身体なんですがっ。溶けてほしいのはお前の意気地なさであって、甘えた心であって、ぼく自身は泥々ではなく凛々としていたいのですがっ。けれど、お前は実体を持たない概念上の存在だから、お前を殺すにはぼくの身体に毒物を注射するしかない。如何ともしがたい状況だよなあ、って涙をはらりと零しながら、ぼくは酒を飲み続けます。内なるお前を殺すには、心中するしかないのだ、と思っているうち、なんだかお前が愛おしく思えてきました。愛憎半ば、悲喜こもごも、ぼくとお前との間には色々あったけれども、お前なくしてぼくはなかった、と今では思います。おや、お前も泣いているのかい? そうか、お前もお前で苦悩があったのだなあ。もう気張る必要はないんだよ。ぼくたちはこれで終わりなんだ。これで終われるんだ。缶に残った最後の一口を飲むやいなや、ぼくの身体はひっくり返りました。さようなら、さようなら、ぼくの魂。さようなら、さようなら、ぼくの身体。安らかな眠りに就くように、ぼくは意識を亡くしました。


明くる朝、脳がヒステリーを起こしたような頭痛で目が覚めました。意識が定まると、途端に猛烈な吐き気に襲われ、トイレでぜえぜえ吐き散らかしました。死神の前に立ったかのような悪寒、全身を蝕む倦怠感、どくどくと注ぎ込まれる気持ち悪さ、に、足をもがれたバッタのようにのたうち回っていると、遠くの方で、いや、すぐそばで声がしました。

「自業自得」

うわあ、これはお前の声です。にっくきお前の声です。普段はスカポンタンのくせに、こういうときだけ正論を言いやがる。ぼくと違って頭痛も吐き気もしないからって、他人事みたいに言ってからに! よし、決めました。これ以上我慢なりません。お前を殺してぼくも死にます。昨日みたいに酔った勢いで冗談を言っているのではありません。ぼくは本気だぞ、って、おや? なんですか、その狼狽えた態度は。ははん、お前もぼくに死なれては困るというわけだな。お前は所詮概念だからな。主導権はぼくにあるのだよ。わかったら、ぽくに付き従え、隷属されろ、お前はぼくの一部に過ぎない。ピピーッ、ここで試合終了です。勝利したのはウスズ選手です。それでは、勝利者インタビューに移りたいと思います。では、激闘を終えて、今のお気持ちは?
「えー、ここまで戦ってこられたのは、ぼくを見捨てず最後まで励ましてくれた家族、仲間、そして、グラウンドに集まって、ぼくを応援してくれたフォロワーの方々のおかげです。みなさんに勝利という最高の恩返しができて、ほっとしました。帰ったら寝ます(笑)」
と、そんな感じで再度眠りについて、目が覚めたら午前10:30。午前10:30? とっくに始業の時間を過ぎています。これは寝坊というやつですか? はい、そうです。うわあ、やってしまいましたなあ。スマホには何件も着信履歴が残っています。終わった。今さら、折り返し電話し、平身低頭平謝りしたところで、烈火のごとく怒られるのは火を見るより明らかで、もうなにもかも面倒くさくなっちゃったぼくは、無断欠勤することに決めました。今日のことは諦めました。明日のことは、うーん、まあ、考えなくてもいいかな? 明日は明日の風が吹くって言うし。そうと決まれば、もう一眠りしましょうか。


布団を被り直すと、ぼくはお前は鼻で笑った。そうだった。ぼくも負けず劣らずクズだったんだ。あはははは。

『散髪』

3ヶ月振りにやっと床屋へ行きました。


今の今まで散髪をサボっていたのは単に面倒くさかった、それと、対人コミュニケーションに難がある、というのが主な理由でした。
理容師と何を話せばいいのかわからないというのが、なんというか、自意識過剰さを物語っているよね。
ムスッと座ってるだけでは人間として駄目だ、理容師も人であるのだから不快にさせたくない、そういう思いから僕が行くには分不相応な場所だな、行きたくないな、と、ああ、なんて自意識過剰っぷりなのでしょう。
だから床屋に行くのは躊躇していたのですが、上司から一言、髪を切りに行きなさい。はい、上司様、行って参ります。
と、そういった次第で、ええ、冒頭で自発的に床屋に行ったと思われるような書き方をしましたが、あれは嘘です。
正確には常識的な考えを振りかざされ、否応なく従わざるをえなかったと言うべきでした。
ほんと、意味の無い嘘をつくでしょ僕って。
皆さんには何故嘘をつくのか理解不能でしょうが、心に張りつく安っぽいプライドが嘘をつかせるのです。
そんなプライド捨ててしまえよと思うのですが、僕には宝物と呼べるものがこれくらいしかないので捨てるに惜しいのです。
ああ、くだらないですね。
自分の殻に閉じこもってガラクタばかりを抱き寄せ、本当に大事なものを見過ごし、得るべきものを得ない人生にどれほどの意味があるのでしょうか。
その長い髪の毛を放置しておける精神性がお前の在り方を物語っているぞ、と呼んでもいないのに自分が自分に語りかけてきます。

「身だしなみを整えるなんて常識だろうが。社会人にもなって小学生でも気をつけること注意されやがって。お前は本当に頭がおかしいよなァ?」

あーうるさい、うるさいなぁ、これぞ自意識過剰というものじゃないですか、あなたの言うことは全て自己愛から発せられたもので、なんら普遍的でなく、どこまでも主観的な内世界の感覚です。
だって僕よりも長い髪の毛で根暗そうな人間は世界にごまんといますよ?
僕の根暗さは偏差値47くらいのもので僕より下なぞ探せば探すだけいると思いますよ。
こんな一般論、僕に吐かせないでくださいよ。
いやはや、これぞ自己愛、自意識過剰といった所感です。
結局僕は自分を愛しているので少し道を踏み外そうとしただけで苛烈に自己嫌悪し性格の矯正を図るのです。
それは人間誰しもが抱える機制で、何が「頭がおかしいよなァ?」ですか、至極真っ当な人間反応じゃないですか。
しかも、これから髪を切るに行くと決意している人間の頭がおかしいわけがないですよね。
髪がちょっと長く伸びてしまっただけでこの大騒ぎ、赤っ恥です。


グダグダ考えながら歩いているうちに、目的の床屋に到着しました。自動ドアを抜けると、いらっしゃいませー、と挨拶が飛んできます。
うん、いいよね。お店っていいよね。お金を払えば店員が恭しく髪を切ってくれる、僕ってまるで人間みたーいってなりますよね。
ふふんっと席に着いたら、後ろから鏡越しに理容師さんが語りかけて、今日はどういたしますか?
そこで、「瑞々しくて清潔な春の七草をイメージした髪型で」とでも答えておけば、まさに人間。
これが人間活動というものです。うん、いいね。僕も人間でよかったなぁ。


ジョキン、ジョキン、と理容師さんは僕の不潔な髪の毛を散髪してくれています。
鏡に写る自分から目を逸らしている間って、何を考えていたらいいのかわかりませんよね。
ボーッとしていればいいのでしょうが、僕の場合、気を抜くとすぐ頭を垂れてしまって、その都度、理容師さんに頭の位置を正されるので、申し訳ないような気がして一瞬たりとも気が抜けません。
頭を動かさず視線を外すには、相応の集中が必要ですが、それだけに集中する分には不必要なほど僕の脳は発達しすぎているので、何かを考えられずには居られなくなってしまうのです。
けれど、何を考えたらいいのかわからない。みなさんもそういう経験ありませんか?


その間も、ジョキン、ジョキン、と、理容師さんは快刀乱麻の勢いで僕の不潔な髪を散髪してくれています。
バサッと落ちる髪の毛が、さっきまで大切な自分の一部であったはずなのに、急にゴミに見えてきて、少し嫌な気分になります。
嫌な気分になった僕は、それが呼び水になって、沸々と嫌な妄想を換気させてしまいます。
その日は、僕から発せられる不愉快さ、気持ち悪さ、を鋭敏に感じ取った理容師さんに、切れ味抜群のひげ剃りで、ドクドクと脈打つ頸動脈を撫で切りにされてしまったらどうしよう、前掛けを紅く染めていく血液を見た僕が、散髪された髪の毛を眺めるように、それをゴミだと判断したらどうしよう、と考えてしまいました。
今思うと、全く意味のない仮定で、とんだお笑いぐさではあるのですが、その時の僕は顔を青くして、どうしよう、どうしよう、と狼狽えていました。

僕は死がとても恐ろしい。死の前では、僕は全くの無力になってしまう。こんなことになるのなら、人間になぞなりとうなかった。人形かなにかになりたかった。
もう髪を切るのはやめよう。人間のフリをするのはやめよう。そして、だらしなく髪を伸ばし続け、ウェディングドレスのように髪をぞろぞろ引きずらせながら全国を行脚しよう。
そうすれば、僕は有名人になれるかもしれない。死後、悪趣味なマニアに標本とされ、人間の醜悪さを後世に伝える立派なオブジェになれるかもしれない。

とまで考え、馬鹿馬鹿しくなって今までの思考を全部投げ捨てました。
何故って、そんなものになれるはずないもの。
芸術になれるほど強靭な意思を持っていたら、僕は今までこんな苦労していないはずです。


散髪は一通り終わったようで、「ご確認ください」と鏡を見るよう促されました。
見ると、ああ、自分がゴミに見えます。

『ウロボロス』

ぼくの眼前に漠然と横たわる無窮の時間。そして、時間を食らい、無を排泄する大蛇。大蛇の食欲旺盛さと言ったら途方もない。食っても食っても満ち足りぬようである。時間の無駄では、と疑問に思うが、かといって有効につかえる手立てもない。時間が食いつぶれるそのときまで、ぼくは黙ってみているほかなかった。

無限に思われた時間はあっという間に消え去り、大蛇は底を打った。残ったのは無何有郷の暗黒。戯れに鈍く光る大蛇の死体をつまみ上げ、口に放り込むと、ぼくも何かを食わずにはいられなくなった。しかし、此処にはなにもない。いや、あるじゃないか。鈍く光る右のてのひらを見つめてそう思った。恐る恐る齧ると、右腕だったものは瞬く間に咀嚼され、嚥下され、胃に納まった。しかし、満腹感が得られない。やってくるのは流砂のような飢餓感。ぼくは衝動を抑えきれず、ほとんど間を置かずに左腕を貪った。夢中だった。食べるということは存外に楽しかった。激痛や己を食べるというグロテスクさを差っ引いても有り余る食の快楽。左腕も食べ尽くしたぼくは、足先へと首を伸ばした。もはや、ぼくの身体は構造の制約を受けていないらしい。暗黒の齎す力によって外界と内界の境が破壊され、黒一緒くたにされた世界では、身体のつくりを留めることは難しいのかもしれない。とにかくぼくは足趾に食らいつき、脛を噛み砕き、筋肉を啜り、血に酔いしれた。ああ、実に楽しい。今なら大蛇の気持ちも知れよう。とにかく消し去りたいのだ。消し去って、消し去ったあとのことはどうでもいい。

いよいよ頸までを食べ尽くしたぼくは、最後に、裂けた口で大笑いして、ぼくの頭を丸呑みにした。

『暴力妄想』

自販機の前でタバコを吸っているとおばあさんが通りすがりににこやかな笑みを寄越すのだけど、どうして旧知の仲でもない竹馬の友でもないぼくに笑いかけるんだろう、ってそれは微笑めば微笑み返され和やかな雰囲気が生まれぼくもおばあさんもすこし幸せになれるからだ。ということは、おばあさんが微笑えんだのは打算で、ぼくに会釈させることを強制させたのだ。ここでもしぼくが無視したとして、ぼくの人間の劣悪さが漏れなく露呈される結末を辿るのであり、おばあさんに舐められ侮辱されるのであり、格好の嘲笑の餌食となるだろう。これは言わば暴力である。しかも、正当性のある暴力――いわゆる正義――だから一層タチが悪い。ところがどっこいしょ、聞いて驚け。ぼくは幸せになりたくない人間なんだ。正しいと思い込んでいるその行為は、ぼくにとって全然正しくなんかない。そうとも知らずに幸せな雰囲気作りをする自分が正しいと確信し躊躇なく暴力を振るうおばあさんは、許されざる悪だ。と、通りすがりににこやかにな笑みを浮かべただけのおばあさんを悪と断定し非難を浴びせてしまう自分の愚かな感受性、人間的最悪さを再確認し、ぼくは独り自己嫌悪とそれに伴う自己憐憫の悦に入りながら家に戻った。

「あ、あの時頑張っていたら……もしかしたらって、自分にとっての最後の言い訳を取っておくしかないのよ…… さ、最初から、無理だと分かってるんだから…… そ、それくらい良いじゃないの……」

悲劇ぶって「どうしてこうも体調が悪いの!」って、そりゃ昼間から酒を飲むからであり、毎晩カップラーメンしか食べないからであり、家に引きこもり鬱屈した生活を送っているからであり、自業自得以外の何物でもないわけなんですが、自意識過剰自己愛人間のウスズちゃんがそんな理由じゃ納得できませんよね。きっと、文豪が抱くような高尚な懊悩を同じく胸に秘めているから気分が優れないのであり、苦しいのであり、昼間から酒やカップラーメンを食らってしまうのであり、それはウスズが偉大な人間性を秘めている証左だよそうに違いない。そうだ、小説家にでもなったらどうだろう? 芥川賞なんかを取っちゃったりするかもよ? 新進気鋭の作家になって、キャ〜ウスズ先生〜ってサインをねだられたり、「いま録画したぷいきゅあを観ながらパピコをちゅーちゅー吸ってるんですが、ぼくの前世はぷいきゅあだったかもしれない」というクソみたいな呟きが何万RTもされたり、とにかく現状の鬱々とした感じから抜け出せるきっかけになるかもしれない。怠惰に過ごして時間を浪費するくらいなら、なんでもいいから足を一歩踏み出すべき。バットを握らなければ逆転ホームランも打てない。違いますか? 全然違います。ぼくのバットは枯れた向日葵です。ボールに当たった矢先に折れてしまいます。ヒットも打てやしないし、バッターボックスに立った瞬間とんだ笑い者です。いい加減に自分のクソ無能さとクソ凡庸さとクソ卑小さに気づいてください。ぼくという人間に商品になるよう素質も魅力も経験もありませんよ。売り物になるようなものがあるとすれば時間くらいなものです。天賦の才とか卓越した感性とか、夢をみているくらいなら時間を売って働いてください。働いて働いて馬車馬の如く働いて、食って、寝て、休んだら働いて、働いて働いて、それがぼくに期待されている唯一の役割なんですから、他人に認められたいんなら、働いてください。
わかりました。働きます。四の五の言ってごめんなさい。
才能もなく、やる気もないなら、できるわけもないよね。怠惰で愚かな人間でごめんなさい。
昼間から酒を飲んだり、毎晩カップラーメンだったりするのは、自分に高級な悩みがあり生活に手をつけられないからではありませんでした。
ごめんなさい。