『保存の法則』

浴槽を使って思い出をホルマリン漬けにするのもそろそろ限界を迎えて取捨選択を迫られたぼくは、ゴム手袋の手を突っ込んで深い方の記憶から順々に取り出して、どひゃあこんなガラクタを後生大事に取っておいたのか、とケラケラ笑いながら漁っていたが、いざ捨てるとなると惜しいような気もして全部もとに戻してしまった。これでは新しい思い出を保存できない。二進も三進もいかなくなったぼくは、過去の思い出を少しずつ圧縮して空きを増やすことに決めた。品々をもう一度取り出して、もとの形をなくさぬようにそっと握りつぶす。すると、思い出たちは果汁のように血を流し、手の甲を伝い、少し浴槽を汚した。が、まあ、おおむねぼくの目論見通りに事が運んだだろうと、そっと胸を撫で下ろしたのも束の間、翌朝確認すると浴槽が真っ赤に染まっていた。慌てて取り出すと、血を垂れ流し続けた思い出たちがもとの形をなくして無残な姿に成り果てている。どうやら手遅れらしかった。もう一度、清潔なホルマリン剤で漬け直すことも考えたが、ぼくにはもうグロテスクなアイテムにしかみえなかった。ぼくの軽率な判断ですべてが台無しだ。と、嘆く気持ちも当然あったわけだが、それ以上に清々しさを感じるのはなぜだろう? きっと、あれらがガラクタであったことは正当な判断だったからに違いない。つまらない未練にこだわり、ああやってホルマリン漬けにするのがそもそもの間違いだったのだなあ。これからはどうしても失いたくない、未来永劫大切と思えるものだけ沈めよう。ぼくはそう思い、今回の教訓をかたちにして、新たにホルマリン剤で満たした浴槽に漬けた。それはとぷんと音を立て深く深く沈んでいく。

何年か後、僕の浴槽はまたしてもキャパオーバーを迎えていた。