『死んだら負け』

 死んだら負けらしいけど、実際その通りだと思うよ。生きて、生きてこそ働き金を稼ぎ美味い飯を食い高級な服飾を身に纏い女を侍らせ鼻の下を伸ばすことができるのであって、それが人生の最大目的とされている現代においては、帰結的に死は敗北なのだ。キミ、死ぬなんて冗談でも言っちゃいけないよ。苦しい思いをしないため人生最大の目的を放棄するなんて本末転倒にもほどがある、バカじゃねえの。さらに言うなら、死ぬのは他人からしても迷惑極まりない行為であって、たとえ誰にも迷惑をかけない死に方で死んだとしても、死ぬこと自体が迷惑。だって、みんな金を稼ぐことに必死、必死なのだから、キミが生きて生産・消費活動をしてくれないと、みんなの懐が暖まらないじゃないか、貧しい思いを強いられるじゃないか、キミに死なれるととても困ったことになってしまうよ。マザー・テレサも「貧乏が一番の不幸だ」的なことを言っていたよ。キミの勝手な行動が他人を不幸のどん底に叩き落とすのだ。ちなみに、先ほどのマザー・テレサの格言を解釈しなおすと「奴隷の分際で勝手に死んでんじゃねえぞ。身の程を知りたまえ」
    つーか、他人の事情なんか知ったことじゃない? よろしい、よろしい、ならば自殺する理由を教えてくれないか、どうせ、もう死ぬのだから最期に教えてくれたって構わないだろう? 親に虐待を受けている? 友達からのいじめが深刻? 上司のパワハラに耐えられない? 抱えている精神疾患のせいで生きづらい? あはは、あはは、そんな理由で死にたいんだ。死にたいと願ったのは自分自身だろうけど、それほとんど他殺みたいなものだよね。どの口が「他人の事情なんか知ったことじゃない」と言えるんだか、ばりばり影響されやがって。本心からそう思える人間は「死にたい」なんか口走る前に死んでいるだろうよ、あるいは平然と生きているだろうよ。弱虫どもが妙に強がりやがって、家族から教師から上司から叱責を受けたら人一倍落ち込むくせに。
    というか、実際のところ、「死にたい」とは言ってみるものの、本当に死にたくはないんだろうね。「死にたい」と口にさえすれば、可哀想な感じを演出できて、誰かが助けてくれるかもしれない、あるいは自己憐憫に浸れるかもしれない、きっとそれだけなんだろう。だから「死んだら負け」的な発言に噛みついてしまうのだ。可哀想な自分に酔っているところに水を差されたら、真剣に考えないための頑張らないための最後の言い訳を封じられたら、誰だって不快だよね。だからと言って、自分らを正当化して奴らを攻撃するのはやめようぜ。正しいのは、正しいとされているのは、奴らの方なのだから、奴らのバックには資本主義様が鎮座しておられるのだから、キミらは黙るしかない。ぎゃんぎゃん喚き立てたところで無意味。敗北は決定しているのさ。実を言うと、「死んだら負け」というのは部分的に間違っている。「死んでも負け」と言うのが正しい。キミらは死ぬ前から負けているんだ。
    余談だが、死のうが死ぬまいが負けてしまうのなら、何を以ってすれば勝利できると思う? 答えは簡単だよ。勝者を殺せばいい。そびえ立つ高層ビルを破壊し尽くせばいい。テロルでもって革命を成せばいい。よくよく考えれば当然のことで、「死んだら負け」なのだとしたら「殺したら勝ち」になるだろう。勝ちたいなら、殺せ。