『マックのハンバーガーだけあればいい』

マックのハンバーガーだけあればいい。あの100円のやつ。1日に1回、あれを2つか3つ食えればそれで十分になっている。それと80円のお茶ペットボトルがあれば他に何も要らない。それで一日の食事が終わる。生活の潤い、豊かさみたいなものが色褪せていくのを肌で感じる。活力も湧いてこない。と思って、今日は贅沢にもラーメンを食べに行ったのですが、いつも注文しているラーメンとライスセットを今日も頼んだのですが、なんでかなあ、全然美味しいと感じられないのです。ハンバーガーの食い過ぎで舌が死んでしまったのかな。いつもなら余裕で食いきれる量なのに、今日は中盤辺りで吐き気がやまなくて、結局残してしまいました。もうこの店には来られないなあ、と思いながら逃げるように帰ってきました。結構好きだったんだけどなあ。僕はもうここで食事する資格はない。って、これはただの自意識過剰なんですが、別に再来店すればいいのですが、でも、何もない僕が唯一持っているものがこれなので、他人からすれば早急に唾棄すべきもの、嫌悪の対象なのかもしれないれど、僕にとっての唯一の宝物がこれなので、それと、この自意識過剰さを生贄にしてまで得たいと思う対価もないのです。この世のすべては下らなきことで、取るに足らないことで、意味のないことだから、自意識を捨ててまでそんなものを得るためにあくせく働こうとは思えないのだよね。あのさ、君らが誇りに思っているもの、身に付けて悦に入っているもの、がゴミじゃない保証なんてどこにもないのだよね。ね、僕にはもうゴミにしか見えないんだ。世界は巨大なごみ箱で、一つ一つの事象が塵芥と化しました。僕はゴミを摂取し、ゴミを排泄し、ゴミにまみれながらくたばるでしょう。ぐえー。とても悲しいことだよなあ、と思いましたが、そう思って、強く思って、それなら探そって、美しいものを見つけ出そって、まだ悲しむには早いって、諦めちゃダメだって、決意しましたが、そんな感情もゴミと化して、ゴミ箱の養分となりました。へへ、もうなんにもないです。乾いた笑いしかでない。ので、暇つぶしに笑ってみました。ハハハ、バカくせえ、もうお前生きているだけ苦痛なんだろ。死ね。死んで巨大なゴミ箱の中で他のゴミたちと仲良く暮らせよ。そうするがいいよ。プライドなんか捨てちまえって。と笑い声は言うのですが、でもこのプライド、この自意識過剰さだけは、決して捨てないと、僕の宝物なんだと、そう決めたのだから。結局、意味はなく自分を苦しめるだけなのだろうけど、そう決めたのだから、って必死に自己弁護し、自分を慰めてみたのですが、もう何を言っても嘘くさいよね。なんと言うか、霞を食っている感じ。うわあ、こうして霞を食い続ければ、もしかしたら僕は仙人の境地に辿り着けるかもしれないぞ。偉くなって、民衆から崇められて、そしてそれを全く気に留めない、クールでロックな人間になれるぞ嬉しいなあ、ってそんなものになれるはずないよね。ごめんなさい。心が餓死して、ゴミの中でも最下等のものになるに決まっている。嫌だなあ、何故だか死にたくないし、何か実のあるものが食いたいなあ、と廃墟を見回してもやっぱりゴミしかないのです。そして、腹が減っているので仕方なくゴミを食うのですが、ここちょっと笑える話で、ゴミを食うにも金がかかるんですよね。800円とか1500円とか。ゴミを作るにも金がかかりますから当然の話なんですけどね。そんなわけで実のあるものを食うには、この自意識過剰さを捨てなきゃいけなくて、僕は唯一の宝物さえゴミ箱に放り投げるのでした。そして、僕もまたゴミを生産し、ゴミを他人に売り付け、世界をゴミでいっぱいにする活動に従事し、ってなんだこのゴミまみれの文章は! 何回ゴミって言えば気が済むんだ! もう嫌になってきたよ。なんでこんな気持ち悪い文章書いているのかなあ。って、そうでした、マックのハンバーガーさえあればいいというお話でしたね。生きるか死ぬか、捨てるか捨てまいか、どちらも諦めきれず、堂々巡りの只中にいる僕には、マックのハンバーガーくらいがちょうどいい折衷案なのです。100円だしね。この安っぽくて大雑把な味が僕にはお似合いなのです。これからもマックのハンバーガーを食し続けようと改めて決意して、今日もマックのハンバーガーに口をつけるのでした。と、今日の日記はそんな感じで。

これで結構、僕はこの味を愛しているんだ。

こんばんは。こんなブログにわざわざお越しいただきどうもありがとう。今日も今日とて救いようがない話、意味不明な供述を繰り返すだけなのだけど、それをわかっていて来訪してくれたなら、君たちの正気を疑ってしまうよ。どうせ、君たちは僕を見下し笑い者にするためにアクセスしたのだろう? 他にするべきこと沢山あるだろうに、随分暇なのだろうね。君たちが僕に対してそうするように、僕は君たちのこと見下しているよ。って、またお得意の被害妄想で安易に人を決めつけ、あまつさえ君らの人間性を否定してしまいました。実に愚かしいことだよね。この臆病さといじけた精神によって多くの人を傷つけてきたというのにまったく学習しないのだよね。という自己批判を堂々巡りさせ自分を慰めるのが僕という人間です。自己批判を繰り返しても自分を変えようなどとは一切思わないところが自慰そのものだよね。ヒヒヒ、こんなことはもうやめにしようね。書くだけ無駄だ。


というわけで、改めましてこんばんは。駄文悪文を書き悦に浸り、他人の気遣いをこき下ろし、自己嫌悪して許された気分になっている頭のおかしな人間こと、ウスズです。ウスズはウルトラスーパーズッキーニの略です。書くだけ無駄なら今すぐ書くのをやめろ! という野次が相次いで聞こえるのだけど、へっへっへ、やめてあげませーん。残念でした~。僕は、君らが不愉快になっている様を見るのが愉快で堪らないんだ。君らを不愉快にさせることが僕の唯一の存在理由の気がする。とかなんとか言っちゃって、憎まれ口を叩く愛されキャラを確立し、皆さんに「おーよしよし、ウスズはかわいいなあ~」と受け入れられることを目論んでいる次第です。本当に死んだらいい。「そんなことないよ! ウスズは凄い奴だよ!」というコメントお待ちしております。


気の触れた文章ですが、実は僕、これ結構悲しい気持ちで書いています。自分の文章センスに絶望して悲しいというのもあるんですが、最近悲しい出来事が立て続けに起こって、それが悲しくて気を紛らわせるつもりで書きました。でもさ、これっぽちも気分が晴れないよ。まったく報われない。こうしてブログで書き連ねたことも、他の何もかもも、無駄だったのかな。今までの努力が報われないというのもそうだけど、今体験している悲しみが日を追うごとに忘れていくという事実が特に辛抱ならない。どうせ忘れてしまうならアレコレ考えるだけ無駄なのかな、という考えはきっと正しいのだろうけど、普遍的真理なのだろうけど、ひどく虚しいよ。この事実にみんなはどうやって耐えているのだろうか。それすら考えないようにしているのかな。と諦めかけて、僕ははたと閃きました。

風化していく感情は1冊の本にしてしまえばいい。悲しみが綴ってあれば、読んだ人が君と同じくらい悲しくなれるような。たとえ忘れてしまってももう一度読み返せば、また同じくらい悲しくなれるような。そんな本を作ればいい。大丈夫。記憶は汚れていくが、心はきっと綺麗なままさ。大丈夫。きっと大丈夫。あなたの心は何者にも汚されたりしない。

『オワリはじまり』

何もしていない。本当に何もしていない。このまま何もないまま今日を終えるのは虚しいので文章を書くことにする。と言えども、書くことがない。本当に書くことがない。かりゆし58の曲『オワリはじまり』の一節、“もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい” ない。あるわけがない。後悔しないよう細心の注意を払い生きてきたから。期待して裏切られて後悔しないよう、期待すること自体をやめたから。僕は弱虫だ。臆病風に吹かれ凍えている哀れな虫だ。生きていても楽しくなんかないのに、僕は死をとても恐れている。死んでしまえば、生きている間のどんな悪あがきも全部無駄になるという事実を痛感するたび気持ちが落ち込み、何かを成し遂げてやろうという元気が薄らいでいく。今はもう、したいことなど一つもなくなってしまった。後悔もない、希望もない。明日世界が滅んでしまっても構わない、そう言えるようになってしまった。先ほど紹介した曲、きっと前向きな歌なのだろうけど、それを聴くと気が滅入って仕方がない。

無意味で不愉快な文章をここまで読んでくれてどうもありがとう、なんて絶対言えないな。感謝の言葉を贈れるほど自意識過剰じゃない。久々の更新がこんなものでごめんなさい、なんて言うのはもっと気持ち悪いな。
最後に一つ、どうでもいいことなんだけど、どうして僕はこんなことをしているんだろう? 教えてくれよ。本当はわかっている。全部無駄かもしれないけど、それでも諦めきれなくてこうして文章を書いているんだ。呆れたものだね。まあいいや。じゃ、さようなら。

『アンパンマン最終回』

顔が濡れたアンパンマン、そんな感じ。ヘロヘロとへたり込み、そこから一歩も動けない。目の前をバイキンマンが余裕たっぷりの佇まいで陣取り、僕を嘲り見下している、そんな感じ。

絶体絶命の危機的状況ではあるが、僕に何も心配はなかった。いつも、ここぞという場面でバタ子さんが焼き立ての新しい顔を持って馳せ参じてくれるからだ。新しい顔と交換さえすれば「元気百倍! アンパンマン!」。ふんぞり返るバイキンマンを正義のグーパンで遥か彼方に吹き飛ばし、ハッピーエンドの大団円。多少、デティールに違いはあるものの、毎話繰り返されるお約束のパターンだ。だから全然余裕だ。具体的には、「このー! バイキンマンめっ!」と熱演し、ピンチな状況の演出に貢献できるくらい余裕。

それにしても遅いなバタ子さん。いつもなら到着してもいい頃合いだが、今日は特別に遅いな。道路条件でも悪いのかしら? と勘繰っているうちにも時間は刻々と過ぎ、濡れた顔面に生えたカビは休むことなく繁殖し続け、気付けば僕の顔を土くれのようにぼろぼろにしてしまっていた。顔を掻くと淀んだ緑に変色したアンパンの欠片が、大粒の涙のように零れ落ちる。そうした光景に、縄で縛られた囚われのウサ美ちゃんが、おぞましいものを遠巻きに眺めるときと同じ冷ややかな視線を注ぐ。うわあ、仮にも君を助けに来た正義のヒーローに向けていい視線じゃないな。クソぅ、バタ子さんや、早く来ておくんなし。とバターにも縋る思いで念じていると、ついにやってきました車体を揺らしガタゴトと。現在の状況に当てつけるかのように僕の顔面を模した特徴的なフロントがピカピカと輝いている。あれは見紛うことなくアンパンマン号だ。バタ子さんが、運転席のカーウィンドウを全開にして、身を乗り出し手を振っている。

ふう、とりあえず一安心だ。あとは新しい顔に取り換えてバイキンマンをぶちのめすだけ。と、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、あらぬ角度から事態は急変する。手を振るバタ子さんの姿をよく観察すると、その手には煙草が握られているのだ。うわあ、幼児向けアニメのキャラクターが煙草に手を出しているぞ。あろうことか、煙草を持ってご登場されているぞ。やっちまったな。これじゃあ、バタ子さんじゃなくてタバ子さんだよ〜。全然笑えんわ。というか、今まで僕に隠れて吸っていたのだろうか。長年の付き合いなのに知らなかったな。まあ、助けてもらう手前申し訳ないが、今日限りで降板だな。悪く思うなバタ子さん。今の時代、煙草はどこも厳しいからな。あ~あ、大切な仲間を降板させなきゃいけないなんて、正義の味方に徹するのも辛いものがあるなあ。さて、気を揉むのは後にすることにして、今はバイキンマンをやっつけることに集中しよう。そうだな、後任は福原遥ちゃんがいいな。

さあ、最後の仕事だ。新しい顔を寄越すんだ。こちとら、ぼろぼろで異臭もすごいんだよ。って、あのバカ、今頃自分が煙草持っていることに気付きやがった。左手に持っている新しい顔を見つめて何やらジッと考えているぜ。つうか、いつからだろうな、僕の大事な新しい顔を両手で持つことをやめ、片手で持つようになったのは。

いい加減早くよこしてくれ。いつまで新しい顔と睨めっこしてるつもりなんだ。あー、わかった。わかっちゃいました。アイツこのまま帰る気だな。今日で最終回にするつもりだな。哀しげな目で僕に一瞥くれやがったぞ。本気なのか? うわあ本気で帰りやがった! きっとジャムおじさんに「私が来た頃にはもう… 自分の非力さが憎いです」とでも言い訳するんだろうな。最低だ。人間の屑だ。と思いを巡らせている間にもアンパンマン号はズンズンと遠く離れていき、呆気に取られていたバイキンマンは元の調子を取り戻すと一層高笑いし、囚われのウサ美ちゃんは身も世もないといった感じで泣き喚きだした。カビが餡子まで到達した僕の命は風前の灯だ。個人の身勝手な振る舞いで正義が滅び、悪徳が栄える。正義のなんと脆いことよ。と、アンパンマンが今際の際に抱く虚無感と同じくらい、最近の僕は虚しい気持ちでいっぱいです。

『NHKにようこそされたい』

世の中の童貞ディスはNHK(日本非童貞協会)の陰謀です。

NHKは、数多のメディアに潜り込み、あらゆる手段で民草に童貞を侮蔑するよう扇動する、悪の組織です。一方で、非童貞を持ち上げ、男のステータスとして格付けする工作活動も水面下で行っています。それら悪しき活動による被害は後を絶たず、嘲笑と蔑視による童貞への精神的被害は測り知れません。

しかし、よく考えてください。童貞のどこが気持ち悪いんですか? ないでしょう? 皆さんは知らず知らずのうちに教化されてしまっているのです。

私は童貞党の一員として、「『臭い・キモい・汚い』の3Kに『キチガイ』を加え、時代は4K!」と謳い、さらに調子付くNHK天誅を下し、隠された真実を白日の下に晒すべく今回の記事を作成するに至りました。

童貞が気持ち悪いとされる言説の一つに、春秋時代の中国の思想家の孔子という人物が弟子に話したとされる説法があります。今回はこれに異を唱えることでNHKが流布する「童貞キモい論」に一矢報いてやろうと思います。あまりにも有名な話ではありますが、以下に説法の内容を記載します。

弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も侵入を許していない砦は頼もしく、一度も侵入に成功していない兵士は頼りないからだ」
(※ニコニコ大百科より抜粋)

みなさん、心を落ち着けてよく聞いてください。セックスというのは戦争なんですか? 互いを傷つけ合い、憎しみを生む、愚かな行為なんですか? そのような認識の下、男女が情事に励んでいるとしたら悲しいことです。それならいつまで経っても愛が地球を救わないことにも頷けます。

ねえ、違うでしょう? セックスはお互いを認め合い、愛情を生む、尊い行為でしょう? そうでなければなりますまい。この説法は前提条件から間違えたこじつけ解釈なのです。

戦争が日常茶飯事であった遠い昔の中国では一定の理解は得られたでしょう。男尊女卑の時代でもありました。しかし、時は現代日本。戦争とは無縁の平和な島国。女性の社会進出は今では何ら珍しくなく、まだまだ問題は多く抱えていますが、男女共同参画が確立された社会です。その時代において女性を「砦」、男性を「兵士」と喩えるのは男女差別でしかなく、「遅れたモノの考え方」と切って捨てて不都合はないでしょう。

いいですか皆さん、「童貞ディスは遅れている」のです。納得いただけましたか? でしたら、この標語を家の至るところに掲示し、毎日100回は唱えましょう。私は日に300回唱えています。そして余裕が生まれれば、差別問題を訴えるポスターやチラシを作成し、ご近所さんに啓蒙して回りましょう。最初は疎まれるかもしれませんが、直に理解が得られるはずです。迷惑そうな顔をされても諦めず訪問し続けてください。

最後に忠告ですが、NHKの訪問には気をつけることです。奴らは童貞をディスって憚らないばかりか、忠誠の証として金銭を巻き上げる酷い奴らです。奴らが訪れてもデーモン小暮のフリをするなどしてその場を凌ぎましょう。町内会で変人扱いを受けるかもしれませんが、今は我慢のときです。いつか日の目を見ることを信じて頑張りましょう!

うぃーしゃるおーばーかむ さむでい!!!!!!!!



はあ、ほんとに何書いてるんだ俺。馬鹿じゃないのか。あーあ、俺も中原岬ちゃんのような娘っ子にNHKにようこそされないかなあ

以前、メンヘラ.jpに記載した文章

ブログ更新のやる気が起きないので、今年の5月にメンヘラ.jpのお悩み相談で記載した文章をupしておきます。Twitterアカウントを開設するより前に書いたものなので、前日譚的な楽しみ方をしてくだされば、と存じます。「メンヘラ.jp  生きていたくないのです」で検索すれば、住民の頓珍漢な回答も併せて閲覧できるので、暇な方はそちらも是非。

 

前口上も程々に、何とぞ気の違った所なぞ、御高覧のほど、伏して懇願仕り候。

 

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生きていたくないのです。
毎朝起床を強制され、やりたくもないことを強制され、社会に適合するよう矯正される恐ろしさ、苦しさ、くだらなさ、それら堪え難きを堪え、得られる生活の安定にさほど興味は持てず、愚にもつかぬ頭で考えていることは、学校を辞め、人並みを諦め、しがらみから解放されたらどんなに気持ち良いだろうか、ということばかり。自分の幸福を考えるとするならば、学校には行かないべきで、ひいては働かないべきで、実をいうと死ぬべきなんです。

あはは、嘘です。学生ですら満足にこなせない社会性欠落自堕落人間の僕でも、これは幸福にも現実にも即してない、誤ったものの考え方だと知っています。どころか、正しくて賢い生き方というのを熟知しているくらいです。こんな毒にも薬にもならないWebページで嘘臭いコラムに自分を重ね合わせて薄っぺらい慰めに感動している愚かな皆様に、特別にその賢くて正しい生き方というのを伝授して差し上げますと、「説明つかない希死念慮に真摯に向き合うのを止め、生理的欲求を優先して生活を充実させる」これを実践するだけです。ネガティブな感情なんか旨い飯でも食えば収まる程度の大した感情じゃないんです。対症療法的に不安から目を逸らし続け、その時々で一喜一憂して時間をやり過ごす人生万歳。皆、そうやって苦しみを抱えながらも生き延びてきたのだよ。君の抱える、漠然とした不安?陰惨な過去?精神病質?全部くだらねえ。キチガイみたいに振る舞って同情を勝ち得ようとする魂胆の浅ましいこと浅ましいこと。はっきり言って、家族や周囲の人間は、君のこと陰では迷惑がってるよ。断言しちゃ不味いのかもしれんが、だって君、実際迷惑な人間じゃないか。それくらいの自覚はあってもおかしくないはずだが。迷惑をかけて、他人を悩ませて、それでも許してくれるだろうと、愛してくれるだろうと、本気でそう思えるのかい? そう思えるのなら、恥知らずで、救いようがなくて、幸せな人間だね。ここから先は読む必要がないと思うよ。

さて、哀れな肉塊と一部の酔狂な皆様、改めましてこんにちは。さらっと相談するはずがつい愚痴をこぼしてしまってすみません。それに文章の奔逸が激しくって序盤と終盤で語尾も違ってるくらいなんですが、これ掲載されるのかな? 社会不適格者の集会に文章表現が不適格だからという理由で突っぱねられたら、それはそれで面白いだろうけど。それとも内容がアウトかな? 運営理念に反するとかで拒否されたらどうしよう。こんなクソだる絡みみたいな文章には居場所なんてないのだろうか。ないんだろうね。という訳で今から死にます。まあそれは嘘で、本当は別の理由で死にます。死ぬしかないんです。さっきと言ってることが違う? 実を言うとあれも嘘なんだ。

ところで、死ぬ前にひとつ質問いいですか? ダメですか? いやいや、いつもなら無視してくださって構いやしませんが、もうすぐ僕は死んでしまうんですよ? ひとつくらい勘弁してくださいな。お願いしますから!
ではでは質問に移らせていただきます。
「死にたいくせにどうして生きてんの?」
いやー、皆様のコラムだとか相談を拝読していると、とても辛い境遇で悩んでいらっしゃる方が多くて多くて、なかには「生きてる意味なんかない!今すぐ死にたい!」と絶望の淵に立たされてる方とかもいらっしゃるんですが、じゃあなんで死なないんだと僕は思ってしまうわけなんですね。死にたいなら死ぬべきなのに「やっぱやーめた」と生きる道を選んでしまうのが僕にはよくわからない。結局ホラー映画を観るようなものであなたは絶望したフリをして精神を窮地に追いやって自分を傷つける遊びに興じているだけなのでしょう、と僕は思ってしまうね。それとも何か僕には到底及びもつかない真理を発見したから生きる道を選んだのかな。だとしたら死ぬ前に教えて欲しいです。死ぬしかないと思いつつも、一応自死を決定してしまった後悔とかもあるんですよ。だから僕より永く生きている人生の先輩に質問します。

存在の不安を欲求の充足や向精神薬で誤魔化し続けて何か解決しましたか?
確かめようがなくとも何かを無理矢理信じることであなたは救われましたか?
死にたいくせにどうして生きてるんですか?

どうか忌憚のないご意見を。

架空日記

祖母の1日は、ニュース番組やドキュメンタリーに釘付けとなって、恐ろしい事件や事故の報道に涙を流すところから始まる。そして、現実が如何に悲惨かを語るのが、唯一孫と面と向かって話す夕飯時のお決まりだった。

 

ここ数日の話題は、どっかの住宅に自衛隊のヘリが墜落した事件と三沢市に最新の軍用ヘリが整備されることで、今日もまた、まるで初めて話すかのような調子で同じ話をした。

「住宅街にヘリが墜ちたの知ってる? あなたはニュースなんて見ないだろうから知らないだろうけど、ヘリが墜ちたんだよ。怖いねえ・・・死人も出たらしいよ。ウチにもヘリが墜ちてきたらどうしよう。ほら、三沢に新しくヘリが来るでしょ? あれが墜ちてきたらと思うと胸が締められる気分だわ。不安で眠れない。どうしよう」

 

初めから答えのない質問に聞き手である孫は―――現在大学生なんだが、これがまたのーたりんのどうしようもない愚図であるために、最適解から最も遠いであろう“正論でねじ伏せる”作戦にかってでてしまうのだった。彼の尊厳のため付け加えておくが、いつもの彼なら間違いなく祖母の話を適当に聞き流していたことだろう。ばかりか、気休めの浮わついた言葉で慰めていたに違いない。しかし、今日の彼は少し気が立っていた。徹夜でロールプレイングゲームに臨み、ろくに眠れていなかったからだ。そんな些細な理由で、孫は自分の祖母に対して暴力にも等しい論理を展開するのだった。

 

「どうしよう、ってどうしようもないと思う。ヘリが墜ちることは誰にも予測できなかったわけだし。点検さえ怠っていなければとか、“たられば”の話にも意味はないよ。過去は変えられない。そして、未来も変えられない。今回の事故を教訓に、注意深く点検するようになったところで、墜落する可能性がなくなるわけでないし、未来は誰にもわからないことだしね。この世界は運命に逆らえないようできてるんだよ。起こってしまったことは受け入れるしかないんだよ。なら、あえて怖がる必要はあるのかな? 最悪な結果が待っていたとしても、どうすることもできないのなら、せめて楽しく、結果が訪れるまでの時間は、せめて楽しく生きようよ。人生のクソ理不尽さにひれ伏して、時にはお互い薄ら笑い浮かべながら、それを肯定しあって生きていくべきなんだよ。恐怖なんてやめた方がいいよ。どうしようもないんだから」

 

祖母は相変わらずTVを見つめながら「そうなのかい? そうなのかもしれないねえ・・・」と言うに留まった。孫は勝ち誇った顔でコップに注がれたお茶を飲み干し、茶碗を台所へ下げると、2階の自室へ戻った。人生への敗北を宣言し、隷属することを高らかに誓ったこの男は、ベッドに潜ると瞬く間に眠った。